誤りの三段階

偉そうなタイトルですが、たいした話ではありません。なんとく、ちょっと「誤り」について内省してみようと思っただけです。(この記事とは関係ありませんが、今日はひな祭りですね。)

誤りと言ってもいろいろありますが、これはblogの記事なので、文を書くときに犯す誤りを考えてみます。例えば、

「私の好きなものは、リンゴが好物です。」
とか
「私の座右の銘は、常に努力を惜しまない。」
とか、あるいは、
「それを読まさせていただきます。」
とか
「それ違うい。」

とかいったような、変な文を書いてしまうことがあるかと思います。(さすがにこんなにあからさまに間違えることはないと思いますが。)

で、今、このような変な文を書きながら、考えたのですが、変な文ができあがる原因として、

1.標準的はに誤りかもしれないが、効果を狙ってわざとやった。
2.良くないとは思っているが、読み直さなかったため、あるいは読み直したが不注意のため、誤りを見落とした。
3.それが標準的には誤りであるということ自体を認識していなかった。

の3段階があり得るようです。

数字が大きくなるほど深刻な感じがしますが、本人以外は、このどれであるかは、見分けがつかないですね。これが、

「標準敵には〜」

といったような誤字というか、変換の誤りであれば、読んだ人は、2だろう、とすぐに想像がつくと思います。

この「3段階」を使って、自分が誤りを犯したときに、1〜3のどれに当てはまるかを内省してみるのは有効かと思います。

もっとも、自分では「誤り」としてではなく、1.のつもりで書いたことでも、後で見ると自分でも単なる間違いにしか見えないことも(私には)よくあります。そういうのはイタいですね。

また、誰かの間違いを発見したときにも、それがどれに当てはまるのかを考えると、考察が深まるかもしれません。

例えば、「若者言葉」なんて、年長者は3のように考えがちですが、結構1だったりする場合もあるのではないでしょうか。というよりも、ほとんど1なのかもしれませんね。